子どもを「信じて見守る」できてますか?

子どもを「信じて見守る」できてますか?

 


「見守る」を辞書で見てみると、なりゆきを気をつけながら見る、無事であるように注意しながら見るとあります。

子どもが何かに挑戦しようとしている時、少し危なっかしい時などに親は小さな我が子が大切だからこそ、先回りして助けてしまったり、正してしまったり、アドバイスをしてしまいます。しかし「あなたが大事だから」「あなたのことを思って」は本当の意味ではその子のためにはならないことが多いです。

特に挑戦していることの結末が悪い方向に転ぶと思った時、自らの経験から「そんな風にしたらこうなってしまうから、こうした方がいいよ」と決めつけて判断してしまいがちです。しかし、本当にそうなるかどうかはやってみた後でないと分かりません。子どもが大きくなればなるほど、こんな風に言われたら苦しくなってしまいますし、挑戦できない子になったり、自分で判断できない子になってしまいます。そして親に「この子は失敗する」と思われて、信じてもらえていないのは辛いことですよね。

危なっかしい時は、それをさせなかったり、防ぎ過ぎてしまうと危機管理能力が養われず、目が届かなかった時や子どもが大きくなった時により重大な事故を招いてしまう可能性もあります。

 

見守るためには

ー挑戦している時ー

本人が頼ってきたら全力で対応しますが(その時は気持ちを尊重しながら提案するように伝えると◎)それ以外は口出しをせずにしっかりと様子を見守り応援します。人から言われるよりも失敗から自ら学ぶ方が身に付き、今後の人生の様々な場面で経験から判断できるようになるからです。

ー危なっかしい時ー

危ないことは事前にお伝えをしますが(例えばハサミの刃は鋭くて手が切れるから触らないようにねなど)重大な事故にならない限り、ぎりぎりまで見守ることをし、ちょっとした切り傷や擦り傷程度であれば経験させてあげましょう(ほら言ったでしょとは言わずに、刃が指に挟まったら手が切れちゃうんだねと事実を伝えてあげれば◎)小さな怪我を経験することで、慎重に行動できるようになり大きな怪我を防ぐことにもつながります。

見守ることは「放置すること」「無関心」とは違いますし、むしろその逆です。大切だからこそできる親の大きな愛情表現だと思っています。そして成功体験を重ねることも大事ですが、失敗することはそれ以上に必要なことです。モンテッソーリ教育でも同じように子どもが失敗してしまっても、その場で訂正はしません。それは失敗から学ぶことがたくさんあると信じているからです。そして次にチャレンジする時に「こんなやり方があるけど、一度見ててね」と見せてあげることで間違いを直接指摘せずに気づいてもらうことを心がけております。大人になっても自分より上の世代の方から同じように「君のためを思って」と言われることがありますが、親だけは味方でいてほしいものです。

成長するチャンスを奪ってしまわぬように「信じて見守る」を今一度、考えてみたいです。

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